会社から帰宅して、TVをつけてみると、当然の事ながら、震災関連のニュースばかりでした。
小学3年だった長女は、学校を出てすぐに地震にあったそうです。
学校前の横断歩道で信号を待っていると、突然揺れだし、電線に積もっていた雪がばさばさと落ち始めたそうです。それで焦って、自宅まで走って帰ったとのことでした。
確か、この数日前もわりとまとまった雪が降っていたので、家の屋根には雪が積もっているところも多かったと思います。そういう雪が落ちてきたら・・・と思うとぞっとします。
嫁さんは、次女を幼稚園に迎えに行った帰宅中に地震に遭遇したとのことでした。帰宅してすぐにTVをつけてみると・・例の家が燃えながら津波で流されている映像が・・・。すぐに録画を開始したそうです。今でもうちのHDDレコーダーにはこの映像が残っています。今になっても消す気持ちにはなれないですね。BD-Rに焼いて保存しておくことにしました。
PCでネットに接続しようとしたら、全然繋がりません。恐らく地震のせいだと思いますが、念のため、NTTとBiglobeに問い合わせしてみました。
NTTの方はしばらくして電話が繋がったのですが、サポートの人と話して判ったのが、今つながっている電話は、本来は仙台のサポートに繋がるものなのだが、そこのビルが倒壊の危険があるため、みんな避難しており、この電話は東京の方に繋がっていること、そして、こんな状況なので調べる工数がないので申し訳ないがしばらく待って欲しいとの事でした。そこで、こちらこそ申し訳ない、復旧頑張ってくださいと伝えて電話を切りました。
Biglobeの方は、携帯のメールで問い合わせしたのですが、調査しますとのメールが帰ってきて、半日後くらいに、震災の影響で接続できなくなっていた原因が判明しましたと連絡があり、その後接続が可能になりました。
次の日(3月12日)になると、福島の原発の問題がニュースで報道されるようになってきました。
多分、これは全国同じニュースが流れていたと思うのですが・・・。この頃から暗い毎日が始まる事になります。
3月11日は金曜日でしたので、土日を自宅で過ごし3月14日月曜日に会社に行ってみると、工場へ納入する材料メーカーなどが被災し、生産が続けられないこと、電力が今後不足すると見込まれるため、現状では生産が再開できないことが判明しており、一部の本当に重要な製品以外の生産をストップすることが決定していました。
そこで、3月一杯は自宅待機と言う事になりました。給料の一部は支払われるのですが。一時帰休というやつですね。
まぁ、自宅待機とは言っても、連絡取れるようにしておけば、出歩くのは自由とのことでした。ただ、この頃から、ガソリンが全く手に入らなくなってきていました。幸いな事に、ガソリンを入れてまだ数日しか経ってなかったので、タンク内に8割程度は残っていました。これを、とにかくガソリン供給が始まるまで持たせる必要があったので、必要最小限しか車は使えなくなりました。ガソリンスタンドの給油待ちで凍死したニュースなども飛び込んでくるようになりました。
更に、この頃になると、コンビニの商品棚がほとんど空になってきました。売るものが無い状態です。スーパーも同様でインスタント食品はまず残っていませんでした。最初は、米や肉類もすぐに無くなったのですが、幸い庄内は米どころなので、米と豚肉などは豊富に存在していたようです。ただ、他所の地域では品不足のようで、山形内陸部の方から買い出しに来ている方も沢山居たようでした。
節電が呼びかけられており、電灯も必要最小限しか点けてない薄暗い状態でしたので、被災地の事と合わせて、精神的にもかなり暗い気持ちになったのを思いだします。
熊本では、台風による停電がまれに起こるため、懐中電灯と携帯ラジオは大抵の家にはあると思いますが(電池は切れているかもしれませんが)東北の方では、あまり停電は起きないようです。積雪対策も十分してあるようです。このせいか、懐中電灯や携帯ラジオの保有率が低いと聞きました。会社の同僚なども持ってない人がそれなりに居たようです。このため、ホームセンターのラジオや懐中電灯売り場はすぐに空になってしまいました。当然、電池もこれから一ヶ月以上、どこに行っても目にすることはありませんでした。
熊本から送ってもらおうかなと思ったのですが、東北全般が宅急便の配達不可地域になっており、送ってもらうことも出来ない状態でしたね。まぁ、被災地区への救援物資などの輸送を考えると、贅沢は言えない状態でしたし、不満と思ったわけではないです。
ちなみに、タバコは3月後半から品切れが出てきたように覚えています。
実際に、地震の直接被害があったわけではないのですが、街や店の雰囲気も、そして人の表情もどんどん暗くなっていきました。会社の同僚の親戚が津波で被災されて・・・のような話も耳に入ってくるようになりました。
また、あの福島原発が水素爆発を起こしてからが、精神的な陰りを深くしたように思います。この鶴岡市は福島原発から直線距離では150km程度しか離れてないんですよね・・・。
この時以降、放射線量のモニター値情報を収集するようになりました。
続く